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本の紹介「新日本人の起源」

「新日本人の起源 神話からDNA科学へ」崎谷満著、勉誠出版、ISBN978-4-585-05421-4、2009年9月、2500円+税


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【加納康嗣 20110422】【公開用】
●「新日本人の起源」崎谷満著、勉誠出版

 DNA科学(分子人類学)によるパラダイムシフトは、今や人類学だけにとどまることなく、考古学や言語学まで推し進められている。
 著者は分子人類学の先端を行く科学者である。今までの論拠を整理し、比較的わかりやすく解説したものであるが、浅学のものには少々理解困難なところも多い。考古学や言語学までが統合され問題整理されていくことに驚きを禁じ得ない。
 元日本人は北からしか列島に渡ってこなかったことや、列島におけるDNA多様性が大きく、「縄文人」「弥生人」の二重構造論は成り立たないこと。
 DNA科学の知のパラダイムシフトを強力に押し進める本書は、刺激的である。そこまでやるかという領域まで切り込み、既存の学問分野からは感情的な強烈な反論が行われているようだ。日本人の起源を明らかにすることから有史以後の文化の解析まで発展することが予想されるだけに、この科学の発展に目が離せない。

 お薦め度:★★★  対象:我々はいったい何者か、常に関心を持っている方

【加納康嗣 20101217】
●「新日本人の起源」崎谷満著、勉誠出版

 DNA科学(分子人類学)によるパラダイムシフトは、今や人類学だけにとどまることなく、考古学や言語学まで推し進められている。
 著者は分子人類学の先端を行く科学者である。今までの論拠を整理し、比較的わかりやすく解説したものであるが、浅学のものには少々理解困難なところも多い。考古学や言語学までが統合され問題整理されていくことに驚きを禁じ得ない。
 元日本人は北からしか列島に渡ってこなかったことや、列島におけるDNA多様性が大きく、「縄文人」「弥生人」の二重構造論は成り立たないこと。
 さらに今までの考古学の概念をバッサリと切っている。
 縄文施文土器は日本だけでなく、また非縄文土器も多数出土している。地域的差異が大きく,担った人々は単一人間集団でなく、南方系でもない。「縄文」の用語使用は科学的でない。返す刀で「中華文明絶対主義」につながる新石器時代農耕文明の考え方を否定し、「弥生主義」も問題化している。
 日本人の列島における2つのジャームセンター(揺籃の地)として道北・道東(プロトアイヌ)と、九州北部(プロト九州)をあげている。最後の章は、多人間集団を示す多言語共存論である。この方面の研究が進化すれば地方論や文化などの認識に大きな進展があるだろう。
 DNA科学の知のパラダイムシフトを強力に押し進める本書は、刺激的である。そこまでやるかという領域まで切り込み、既存の学問分野からは感情的な強烈な反論が行われているようだ。日本人の起源を明らかにすることから有史以後の文化の解析まで発展することが予想されるだけに、この科学の発展に目が離せない。

 お薦め度:★★★  対象:我々はいったい何者か、常に関心を持っている方

【加納康嗣 20101029】
●「新日本人の起源」崎谷満著、勉誠出版

 著者は分子人類学の先端を行く科学者である。DNA科学の今までの著書等の論拠を整理し、比較的わかりやすく解説したものである。浅学のものには、根拠とする具体的な科学的事実を理解することは困難である。したがって、著者が整理した論点に従って理解するしかないが、分子人類学のパラダイムシフトに考古学や言語学までが統合され鮮やかに問題整理されていくことに驚きを禁じ得ない。
 「人種」の概念が科学的根拠を失って、用語を使うことすら正しくないこと。アフリカを出た人類は大きく3方向に分かれていったが、元日本人は北からしか列島に渡ってこなかったことや、列島におけるDNA多様性が大きく、非常に遠隔なヒト集団が何十にも及ぶ多様性を持って今日に至っていることから、「縄文人」「弥生人」の二重構造論は成り立たないこと。特にY染色体ハプログループにおいて、出アフリカを果たした3大マクロハプログループDE,CETに由来する遠隔なヒト集団が3系統ともそろっているのは世界にまれである。日本列島の人々が他集団を死に追いやることなく穏やかに交わり助け合ってきたことが証明されたわけだ。この意義は大きい。
 さらに今までの考古学の概念をバッサリと切っている。
 「縄文時代」の定義が成り立たないこと。縄文施文土器は日本だけでなく、また非縄文土器も多数出土している。地域的差異が大きく「縄文文化」だけでカバーしきれない。単一人間集団でなく、南方系でもない。「縄文」の用語使用は科学的でない。返す刀で「長江文明絶対主義」「中華文明絶対主義」につながる新石器時代農耕文明のあり方を否定する「弥生主義」も問題化している。このような論点から植生や言語から、日本列島における2つのジャームセンター(揺籃の地)と10クラスターモデルを示している。揺籃の地は道北・道東(プロトアイヌ)と、九州北部(プロト九州)である。最後の章は、10クラスターモデルに分けた根拠となる多言語共存論であるが、非常に興味深いが言語学の門外漢では論拠はほとんど理解できない。この方面の研究が進化すれば地方論や文化などの認識に大きな進展があるだろう。面白いのは言語として豊かな西日本語や関西語ではなく未塾な東京方言が標準語になっている事実である。著者は東京方言絶対主義を乗り越える必要を強調している。
 DNA科学の知のパラダイムシフトを強力に押し進める本書は、痛快で刺激的である。そこまでやるかという領域まで切り込み、日本人の起源を明らかにする。そこから有史以後の文化の解析まで発展することが予想されるだけに、この科学の発展に目が離せない。

 お薦め度:★★★  対象:我々はいったい何者か、常に関心を持っている方

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